今日は、社長の鈴木です
いつもご愛顧有難う御座います
今日はあいにく、午後から雨模様
これからは一雨ごとに気温も上がり、いよいよ
待望の春の訪れを感じる季節となります
大いに盛り上がったピョンチャンオリンピック、数々の
感動のシーンが蘇ります
暫く振りに本当に楽しい時間を貰いました
さて、あの未曾有の大災害、東日本大震災から間もなく
7年になります
TVではここ連日、あの時の津波の映像や、これから心配される
南海トラフ巨大地震に対する備えが放映されております
7年前の映像を見ると、津波の大きさ、怖さ、被害の大きさに
心が揺さぶられます あの時の事が今でも鮮明に蘇ります
未だ行方不明の方や、震災関連で亡くなられた方々は2万人を
超えるという、我々の想定を遥かに超えた巨大地震でした
東日本大震災が起きる前には、宮城県沖地震がいつ起きても
おかしくない、その確率は70%ともいわれ、その備えを
して置くようにと盛んに言われていました
でも現実は、30年位前に宮城県沖地震を実際体験し、
その怖さを知っているのにも関わらず、具体的な備えは
余りしておりませんでした
どこかで地震を甘く見ていた
あの時以上の地震はそう起きるものではない
しかし実際起きた巨大地震は、その甘さを吹き飛ばす位の
想像を絶するものでした
只、グリーンケアスタッフには、とにかくお互いに連絡が取れる
ように、何時でも、何処にいて、どんな状況で、どんな行動をしているか
常に分かるようにして於いてほしい
万が一を想定して、このことだけは常に話しておりました
大震災になった時には、一時的に固定電話も携帯電話も
全く繋がらない状況になってしまいました。震災直後のころは
比較的電話連絡が取れたので、いち早く社内的には安否確認が出来ました
大震災の時経験した事、食料、飲料水はお互いに融通しあって
確保できたので、比較的苦労しないで済みました
私の住まいは田舎なので、水道、電気の復旧が10日から2週間
かかったので、お風呂、水洗トイレ、暖房、照明が使えませんでした
さすがに辛い、不自由な時間を過ごしました
水道、電気の有難さを改めて身に染みて感じました
一番苦労したのが車の燃料です 軽油、ガソリン不足です
先ず、スタンドに電気がないので、モーターが動かせない
更に、道路事情等でタンクローリーで油を運搬できない
正に油断大敵状態でした
この状況は私も、初めての経験でした
どこかに行きたくてもガソリンがなくて車を動かせない
仕事がしたくても軽油がなくて車、重機が動かせない
毎日、整理券を確保して、一人10ℓまたは20ℓと数量制限でしか
ガソリン、軽油を買えない 給油を待つ車で、行列が出来て、夜は
次の朝の給油を待って車は道路に一晩路上駐車あり得ない光景でした
あの時は本当に燃料確保に必死でした
あの当時の教訓で今も、車のガソリンは常に
満タン状態を心掛けております
昔から、備えあれば憂いなしとよく言われております
万が一に備えておくことはとても大事です
備えておけば災害に見舞われ無いかもしれません
全国各地どこで大震災に見舞われるか分かりません
お互いに備え万全を心掛けましょう