ガーデン、エクステリア産業の未来

昭和50年後半から平成の初期、バブル時代を経験しました

今では考えられないような好景気の時代でした

正にお客様の需要の要求に生産が追い付かない状況です

 

給料も信じられない位年々アップして、ボーナスも月給の3か月分とか

住宅メーカーの若手の営業マンは100万位貰ったといって喜んでいました

 

その時期から私も縁があってハウスメーカーさんの下請けとして仕事を

するようになり、とんでもない忙しさにの中で日々工期に

追われながら過ごす様になりました

 

1年間20棟しか施工していない会社がいきなり100棟施工

するような感じなったのです

 

(私自身、当時は(株)福寿園緑化建設 専務取締役として勤務)

 

新築住宅の着工棟数がピーク時、年間180万棟という今では

信じられない位の住宅が建っていたのです

 

現在が約70-80万棟位なので、実に2、5倍の住宅が

建築されていたのです

 

住宅の周囲を囲うことが本来のエクステリア(外構)の仕事なので

住宅が建てば建つほど我々外構工事会社の仕事が必然的に

多くなって来ました

 

ハウスメーカさんからは分譲住宅、注文住宅と工期付きで次々と

仕事を発注頂き、先々の仕事を心配する必要は全くありませんでした

 

受注された工事を工期以内にしっかりと完成させることが当時の

私達の役割で、ハウスメーカーさんと信頼関係を築き、又注文を頂く

これがその当時の状況でした

 

しかし、自社の施工能力はおのずと限られています その能力を超える

仕事量を発注されるので、日々大変な思いで施工を続けておりました

 

当社の施工能力はこれしかないのでこれ以上は引き受けられません

そういってその場を逃れたい時が幾度もありました

引き受けた以上は何が何でも工期以内に、しかも他社に負けないように

立派に完成させねばなりません

 

 

新参物の福寿園緑化建設が、ハウスメーカーさんに認めて貰うためには

絶対に、約束の工期を守らないといけません

約束の積み重ねこそが信頼関係を築く最も大事な事だからです

 

 

無理して引き受けると、それなり、それ以上のリスクを背負います

約束を果たせないと皆さんに多大な迷惑をかけてしまいます

 

 

ですから本当はこれ以上は無理ですと、断りたいのですが実は

それが断れないのです

 

何故かといううと当社だけでなく、仲間内の外構工事会社も皆な

限界以上の工事を引き受けていたのです

外構専門業者も今よりずっと少なかったのです

 

無理を承知でもやらなければいけない状況なのです

限界を超える戦いなのです

今までの常識は通用しなのです

 

それはもしかしてその時代の要請だったのかもしれません

誰かがやらないと前に進まない、そんな時代に遭遇したのだと思います

 

決められた工期以内に施工能力以上の工事をこなさないといけない

 

工期に遅れれば、信用問題に関わりますし、何よりも工期に遅れることは

即ち、その外構会社にそれをやり遂げるだけの力がなかった

 

そう判断されるだけなのです 正に戦いなのです

 

他社との戦いではなくて福寿園緑化建設として、私個人としても

どれだけの事が出来るのか、やり遂げることが出来るのか

その為にはどうすればいいのか

 

日々、自分との闘いでした そのために随分鍛えらえた気がしています

 

 

何よりも戦えるくらいの戦闘要員(職人さん)が圧倒的に少ないんです

 

限界を超える仕事量、それを必ず工期以内に完成させる

 

 

約束して引き受けて来たものの、本当に出来るんだろうか

それを思い始めると、不安で不安で夜も眠れない日も沢山ありました

 

 

約束した工期に絶対に遅れない

その約束を絶対に守る  何が何でも工期に遅れな

 

 

当時、私も未だ若かったので職人さんは私よりも先輩の人達が

殆どでした  始めのころは思うように私の指示どうりに動いては

貰えませんでした なかなか職人さんも集まりません

未だ職人さんになめられてる状況だっ

 

 

技術もない、知識もない、職人さんに負けないのはただ一つ、

何が何でも約束を果たす、それが福寿園緑化建設の未来に

繋がる、 ひいては安定した職人さんの仕事に繋がる

その強い思いだけでした

 

 

毎日、職人さんと一緒になって現場で働き、夜は図面、見積りと

寝る間も惜しんで働きました

 

 

職人さんに認めて貰うには、先ず、自分自身が本気になって一緒に働く

その姿を見てもらうしか方法がありませんでした

福寿園緑化建設を職人さんに認めて貰い、そしてハウスメーカーさんに

信頼され更に受注を増やしていく

 

それが福寿園緑化建設を発展させる道と信じておりました

 

嬉しいことに私の思いが徐々に職人さんに伝わり、多くの現場で深夜、早朝まで

に完成にこぎつけた事も沢山ありました

又職人さんが職人さんを紹介してくれて、職人さんの数も増えて行きました

職人さんが一緒になって戦ってくれたのです

 

懐かしい思いでと共に、信念は伝わる、その時の教訓です

苦しいけれど達成できれば苦しい分だけ嬉しい

貴重な体験を幾度となく経験しました

 

残念ながら好景気、バブル時代、それが永遠に続くはずはありません

 

平成の時代に入るとバブルは崩壊して、今度は一転して

どん底に落ちこんでしまいます

 

その後の展開は又後で

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